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東京地方裁判所 平成2年(ワ)6334号 判決

東京都荒川区南千住六丁目一七番三号

原告

吉川文雄

右訴訟代理人弁護士

鶴見祐策

東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番一号

被告

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

門西栄一

仲田光雄

綱脇豊紀

高橋俊和

斉藤和

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、別紙目録記載の書類を引き渡せ。

第二事案の概要

本件は、原告が被告に対し、原告が税務調査を受けた際に税務署員に預けた集計表等の書類の返還を求めた事件である。

一  争いのない事実

原告は、紙器加工業を営むものであるが、昭和五六年九月、荒川税務署所得税第四部門所属の大蔵事務官若鍋保之から、昭和五三年ないし、昭和五五年分の所得税に関し、税務調査を受けた際、若鍋に対し、税務調査の資料として、別紙目録の書類(本件書類)を預けた。

二  争点

本件の争点は、若鍋は原告に対し本件書類を返還したか否かである。

この点につき、被告は、若鍋は原告に対し昭和五六年一一月四日、原告宅において本件書類を返還したと主張するが、原告はこれを否認する。

第三争点に対する判断

一  前記争いのない事実に、証拠(甲一、乙五の1ないし3、六の1ないし8、証人若鍋、同吉川三千子(第一回)、原告)を総合すると、当時、荒川税務署所得税第四部門に所属していた若鍋は、原告の昭和五三年ないし昭和五五年分の税務調査のため、昭和五六年九月一一日及び同月一七日に、原告宅を訪問し、調査資料として、原告から、本件資料を預かり、その際、本件書類を預かったことを証する旨の若鍋自筆の預かり証(甲一、以下「本件預かり証」という。)を原告に交付したこと、本件預かり証は、若鍋に返却されたことはなく、原告が現在も所持していること、荒川税務署は、原告が本件書類の返却を受けたことを証する旨の受取書等の書面を所持していないことが認められる。

なお、証人若鍋は、昭和五六年九月一一日に別紙目録一及び二の書類を預かり、同月一七日に別紙目録三ないし五の書類を預かり、同日、本件預かり証を原告に交付したと供述するのに対し、証人吉川三千子(第一回)及び原告は、若鍋の第一回目の調査の際に、本件書類全部を預け、その際に本件預かり証の交付を受けたと供述するが、本件書類全部が一度に若鍋に預けられたか否か、本件預かり証が交付されたのは、昭和五六年九月一一日と同月一七日のいずれの日であるかを認定するに足りる証拠はない。しかし、前掲証拠によれば、若鍋は、原告から、遅くとも昭和五六年九月一七日までには本件書類全部を預かり、かつ、本件預かり証を原告に交付したことを認めることができる。

二  証人若鍋の証言及び弁論の全趣旨によれば、乙第五号証の1ないし3は、若鍋が、昭和五六年当時、税務調査の状況を記録していた調査メモであることが認められるところ、乙第五号証の3には、一一月四日を示す数字の次に、「預かっていた原始記録等を返却。預かり証は受け取らず。」との記載があることが認められる。

また、証人若鍋は、本件書類を原告に返還した状況につき、次のような趣旨の証言をする。

1  本件書類の検討を終了した後、本件書類を紙袋に入れて、一人で原告宅に赴いた。

2  原告は原告宅一階の工場で仕事をしていたので、工場の脇の和室に本件書類の入った紙袋を置き、「ここに置きますよ。」と言うと、原告は、「はいよ。」という返事をした。原告に、預かり証を返してほしいと言うと、原告は、見当たらないので、後で郵送なり持って行くなりすると言った。

3  当時、税務調査を始めて一年足らずであったので、その後の円滑な調査を阻害されることをおそれ、原告に受取書の交付を要求しなかった。

したがって、乙第五号証の3の前記記載内容及び証人若鍋の右証言が信用に値するものであれば、若鍋は、昭和五六年一一月一四日、原告に本件書類を返還したものと認定し得るが、証人吉川三千子(第一回)及び原告は、若鍋が昭和五六年一一月一四日に原告宅を訪問したこと自体を否認している。

そこで、以下、乙第五号証の3の前記記載内容及び証人若鍋の前記証言の信用性につき検討を加える。

なお、証拠(乙六の2、証人若鍋)によると、若鍋は、別紙目録一記載の集計表(乙六の1ないし8はその写し)にのっていた紙に何が書いてあったかを調べるために、集計表の一枚を鉛筆でなすったことが認められる。そして、証人吉川三千子(第一回)の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告及び吉川三千子は、集計表の一枚が鉛筆でなすられていたことを知っていたことが認められる。

証人若鍋は、荒川税務署内で右行為をしたと証言しているので、これが事実であれば、少なくとも集計表は、原告に返却されていたものとみることができる。しかし、原告及び吉川三千子(第一回)は、若鍋は原告宅を訪問した際に原告らの面前で右行為をしたと供述しているところ、若鍋がいずれの場所で集計表を鉛筆でなすったかを認定するに足りる証拠はない。

三  証拠(乙八、九、証人若鍋、同串間満盛、同吉川三千子(第一、二回、ただし、後記採用しない部分を除く。))によると、次の事実を認めることができる。

1  原告の妻である吉川三千子は、昭和五六年一二月一六日、荒川民主商工会の関谷会長外二名と共に荒川税務署を訪れ、若鍋の原告に対する税務調査のやり方につき抗議をした。荒川税務署側は、当時の総務課長串間満盛が主としてこれに応接し、総務課長補佐が、応接の際の双方のやりとりの内容をメモした(乙八)。その際、吉川三千子は、税務調査のために資料を全部持って行かれた旨述べて、抗議をした。

2  右応接後、串間総務課長は、若鍋らから事情聴取をした結果、本件書類は、返還済みであるが、本件預かり証は回収していない旨の報告を受けた。串間総務課長は、担当統轄官及び若鍋に対し、原告に電話をかけて事情をよく説明するよう指示した。

3  翌一七日、吉川三千子が一人で荒川税務署を訪れ、串間総務課長、所得税第四統轄官及び若鍋が応接し、総務課長補佐が、応接の際の双方のやりとりの内容をメモした(乙九)。その際、吉川三千子は、請求書、領収書、預金通帳はあったが、集計表がないと言ったので、若鍋が、集計表はコピーをとって返してあると述べ、串間総務課長は、もう一度探してくださいと言った。吉川三千子は、本件預かり証も原告が預かっているかも知れないので、もう一度聞いてみると述べた。

4  右応接後、吉川三千子は、修正申告書を提出して帰宅した。

証人吉川三千子(第一、二回)の証言中、右認定に反する部分は、乙第八号証及び第九号証に照らし、採用できない。

さらに、乙第二号証によると、吉川三千子は、平成元年六月七日、荒川税務署二階小会議室において行われた、原告に対してなされた平成元年三月六日付けの昭和六〇年ないし六二年分に係る原告の所得税の更正処分及び青色申告承認の取消処分に対する異議申立てに関する意見陳述の際に、昭和五六年一二月一五日過ぎに、本件書類の一部がなかったので若鍋に連絡した旨の供述をしていることが認められる。

もっとも、証人吉川三千子(第一、二回)は、このような陳述をしたことを否定し、係官が書き取った意見陳述録取書に住所、氏名を書いて捺印したところ、白紙の書面を渡されて、後で清書するから、署名捺印するように言われたので、その紙の末尾に署名捺印して係官に渡したが、乙第二号証は、右の白紙に税務署側がかってに陳述内容を記入したものであると証言する。そして、乙第二号証によれば、陳述内容を記載した本文と吉川三千子の署名との間には、三行の空白があることが認められる。

しかし、乙第七号証によれば、同日行われた生田益雄の意見陳述録取書においても、本文と署名部分には二行の空白のあることが認められる。また、証拠(乙一〇、一一、証人吉川三千子(第二回)、原告)によれば、吉川三千子が、意見陳述をしていた際に、前記小会議室には、吉川三千子の陳述席から、三メートル足らずしか離れていない位置にあった待合所で、同行した原告及びその知人である生田益雄が待機していたこと、吉川三千子らは、当日、税務署側の意見陳述録取のやり方について特段の異議を述べなかったことが認められる。以上の事実及び乙第一一号証に照らせば、証人吉川三千子の前記証言部分はにわかに措信できないといわざるを得ない。

四  証人吉川三千子(第一回)は、昭和五六年一二月二二日ころ原告から本件書類が戻っていないと言われ、荒川税務署に電話したところ、若鍋は来年まで役所に出て来ないと言われたので、昭和五七年一月六日、翌七日、同月一一日にも電話したが、若鍋はいずれも不在であったため、若鍋と話ができなかった旨証言する。

そして、証拠(乙一二、証人若鍋)によると、若鍋は、昭和五六年一二月二〇日に結婚式を挙げ、新婚旅行(ケニヤ共和国への海外旅行)等のために同月二一日から昭和五七年一月三日まで仕事を休み、同月四日出勤した後、赤痢菌検査のために同月五日から出勤を見合わせ、陰性との検査結果が出るのを待って、同月一三日ないし一四日から勤務を開始したことが認められる。

そうすると、右事実及び証拠(甲二の1ないし3、三の1ないし3、四の1ないし3、証人吉川三千子(第一回)、原告)を総合すると、原告及び吉川三千子は、少なくとも同月一三日ないし一四日以降は、荒川税務署に対し、電話等で本件書類の返還を求めることを止め、これから六年八箇月が経過した昭和六三年九月に、荒川税務署から税務調査を受けたことを契機に、本件書類の返還を求めたことが認められる。

五  そこで、三及び四で認定した事実を踏まえて検討を加えるに、吉川三千子は昭和五六年一二月一七日当時、本件書類のうちの請求書、領収書、預金通帳は返還されているとの発言をしており、修正申告にも応じていること、原告は、昭和五七年一月中旬以降から昭和六三年九月までの約六年八箇月の間、税務署側に対し、本件書類の返還問題につき何らの働きかけをしていないことを考慮すると、本件書類の返還されていないという証人吉川三千子(第一、二回)及び原告の供述の信用性に疑問を抱かざるを得ない。さらに、証人若鍋の証言によると、昭和五六年当時、若鍋は、税務調査の経験が一年足らずしかなく、実務に習熟していなかったことが認められるから、預かり証の返還を受けず、受取書も要求しないまま調査資料を調査対象者に返却するというような軽率な行動をとる可能性がなかったとはいえないと考えるべきである。

以上の点に、乙第五号証の1ないし3は、前記認定のとおり、若鍋によって昭和五六年当時に作成されたものであることを併せ考えると、乙第五号証の3の「預かっていた原始記録等を返却。預かり証は受け取らず。」との前記記載部分及び証人若鍋の二に記載した前記証言部分は、十分信用に値するものということができ、本件書類は、昭和五六年一一月四日、若鍋によって原告に返却されたものと認定するのが相当である。

なお、甲第七号証によると、荒川税務署の当時総務課長であった瀬尾至弘は、平成元年六月九日、同税務署内で、原告及びその代理人である鶴見佑策弁護士と面接した際に、原告らに対し、本件書類は昭和五六年一一月四日に調査担当官が原告の妻に返却した旨の説明をしたことが認められる。しかし、乙第一号証によれば、瀬尾総務課長は、右事実関係を十分に確認しないまま、原告らに右のような口頭による説明をしたことが認められるから、前記認定を左右しない。

六  よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上哲男)

目録

一 吉川文雄(原告)の昭和五五年分決算資料(集計表)

二 同人の昭和五五年分請求書

三 同人の使用済み通帳四通

四 同人の手形割引申込書三枚

五 総栄信用組合振替計算書

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